植音の歴史

明治3年、奥田音吉は洛西鳴滝の地に植音を創業しました。
 実際には江戸末期には創業していたのですが、それを証明できる資料が戦争等により紛失した為、現存する資料により創業明治3年と致しております。
 初代植音奥田音吉は民間を御得意とし、音吉の作庭した洛西梅ノ宮大社神苑、橋本邸などは今日も見事に遺されております。
 「東の植治・西の植音」というように、京都の造園師の双璧といわれたのでありました。
 そして植音は大正・昭和と大変厳しい時代背景の中、2代目亀太郎、3代目正太郎へと受け継がれていきました。
 その後4代目龍司(現会長)、5代目英貴(現社長)へと受け継がれてきた訳ですが、先代方の努力なしには今日の植音は存在しえません。
 代々伝わってきた技術、工法そして今日でも使われている道具。先代方が残してくれた素晴しい数々の作品、それらすべてが庭司植音の宝物です。











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