「庭司」というと皆さんはどの様に想像されますか? 鋏や鋸を持って樹木を剪定したり、大きな鋏で植木を刈り込んだり。 こんなイメージを持たれている方も多いようです。 そういう作業が多いことも確かですが、本来は庭をつくり、そして育てることがメインです。
 ただ単に庭をつくるだけではありません。 建物や周囲との調和をはかり、石の加工や竹細工はもちろん、通路をつくったり塀を造ったり左官仕事や配管工事、時には大工仕事もします。
 皆さんも学校の授業で習ったと思いますが、重たい石を運ぶ時などは今でも「修羅」を使っています。 あらゆる面で機械化されてきた建設業界の中で、ある意味一番遅れていて、ある意味では昔ながらの手法を守り続けているともいえます。
 樹木の治療や樹勢回復などの作業も行います。 科学の進歩によって特殊な肥料や薬が開発され、そういった物と昔ながらの手法や漢方薬等をうまく織り交ぜながら治療を行っています。
 植音に代々伝わっている言葉の一つに「剪定は最大の治療なり」という言葉があります。 人間でもお医者さんや薬だけが病気を治してくれるのではなく、その人の自然治癒力を高めることで病気が治ったり、病気にかかりにくくなったりするのではないでしょうか。 お年寄りと若い人とでは回復するスピードも違いますよね。 樹木もそうなのですが、まずは樹木により強い樹勢を持ってもらう事、そういう剪定を常に心がけています。
 元来庭司が作庭する際に設計図はありません。 およその絵は描けますし、板石や延石等だけで作庭するなら図面も引けるのですが、ほとんどの場合自然の石、樹木を使用する為同じ顔、形をしたものは一つと存在しませんし図面通りに配置するということは不可能です。
 昔の大工さんがそうだったように昔の庭司にも正確な図面は無かったと思われます。もしそれが存在するなら、まず庭ありきでその後に書かれたのではないかと思います。
 そう思うと今日の庭司は昔の先輩方に比べ、劣っている面が多いのではないかと思わずにはいられません。
 植音ではそういった現実を受け止めながら現代人に足りなくなってきた感覚や感性を養っていこうという思いを持って日々取り組んでいます。 もちろん至らない所だらけだとは思いますが、この基本精神だけはこれからも貫いて行きたいと思っている次第です。
 そういう考えから植音では二年に一度、海外への研究研修旅行を行っております。
日本には無い大自然や文化、日本とは異なる様式の庭などを卒業していった元社員や現社員全員で体験、体感しに行く訳です。
 今まで十数回行ってきたわけですが、ほんとに多くのことを学ばせていただきました。どんな事を学んできたかはこれから少しずつこのホームページで紹介していけたらと思っています。
 ただ、今一番感じていることはわたしの生まれ育った京都よりも、ヨーロッパの方々のほうがより文化意識が高いのではという事です。 なぜそう感じるかは、また折々話していきますね。
 私のようなものが偉そうな事を言える立場ではありませんが、最近は殺伐とした事件が多く、日本のみならず世界中に「心」というものが無くなってきているように感じています。 いい意味では個人の人権やプライバシーが守られてきているのかも知れませんが、その反面人間同士の思いやりも失われてきているように思えてなりません。
 植音が最も重んじているのは人との縁であり即ち「人の心」です。
作庭したり、剪定や樹木の治療をおこなったりする時もこの「心」無しには絶対に出来ません。 技術の向上を目指すにもこれは絶対に欠かせません。 技術の向上とは「テクニック」や経験を積むのではなく、己の心を磨いていく事だと考えています。 強い心を持って取り組めば必ず技術を上回れると信じています。
 今現在、あるお寺さんから樹齢450年の赤松の管理を任せて頂いているのですが、技術や歴史や経験だけで対応出来るものではありません。 もちろんそれらの基本は絶対条件ではありますが。 しかしそれを上回る「」が伴わなければ、その松に私たちの「」が届かなければおそらくそっぽを向かれるのではないでしょうか。
 植音の従業員は(私も含めてですが)そのような事を基本精神として、庭司として、人間として成長していけるように取り組んでいます。 これからもそういう気持ちで頑張りますので、皆様方の暖かく厳しいご指導、お力添えのほど宜しくお願いいたします。
                                                     植音五代目 奥田英貴                                


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